三木

上野や浅草には、たくさんのふぐ料理屋があった。

そのほとんどが家族経営の小さな店である。

こういう店は、代を継ぐ者がいないと
閉店になってしまう。

そば屋と同じ理由なのだが、
ふぐ屋の場合はふぐそのものの値段の高騰で
気軽に食べる人が少なくなり、
閉める店が多くなっている。
 

昔、ふぐばかり食べていた頃がある。

その頃は仕事が忙しかった。

体がきつくて脂っこいものを胃が受け付けなくなる。

それで、元々大好きな「ふぐでも食べようか。」ということになるのである。

夜中、玄品ふぐ(ふぐ料理のチェーン店)にもよく行った。

冬になると週に2,3回も食べていただろうか。

それでも春の彼岸が過ぎ5月頃になると、流石に食べなくなる。

ところが、夏の暑い時期の8月頃
禁断症状が出る。

「あともう少しで涼しくなる。
涼しくなったらふぐを食べよう。」
などという思いが沸いてくると、今すぐ食べたくなる。

そういう時、私はよく三木に足を運んだ。

浅草の国際通り、ビューホテルのすぐ近くにあったふぐ屋だ。

ここは、落語家や芸人のサインがたくさん飾ってあった。

浅草演芸ホールやフランス座が近くにあるからなのか、
そういう人たちが集まってくるらしい。

何度かそれらしい人たちが集まって
ふぐを食べているのを見た覚えがある。

下町には、愛想のない大将がいる料理屋が多い。

客が「この店のおすすめはなんですか?」と聞くと、
「初めて来た奴の好みなんか俺に分かるわけねえだろ。」
と返すようなオヤジだ。

一方女将さんが愛想のないというパターンもある。

この三木は後者だ。

三木の女将さんは愛想がないという以前に、やる気がない。

ずっと座っていて、ほとんど動かないのだ。

何か体に原因があったのかもしれないが、
その分大将の愛想は良い。

他の浅草のふぐ料理屋がそうであるように、
ここの大将も三浦屋の出身だ。

だから、店の内装も三浦屋の一階とよく似ていた。
店全体に畳が敷いてある。

低いカウンターがあって、
下は掘りごたつのように足を入れることができるようになっている。

私はそのカウンターに一人座り、久しぶりのフグを満喫する。

一人で食事なんて、というひとがいるかもしれないが
それはそれで楽しいのである。

なぜならば、味わうことに集中できるからだ。

鍋も自分が入れたものを責任を持って自分が食べる。

春菊も、丁度いい煮え加減の青々とした瞬間を逃すこともない。

ひたすら鍋の中を見て、
最高の茹で加減をはかりながらフグを上げる。

酒は菊政の樽酒。

8月だというのに、これを熱燗で飲む。

クーラーがきいているとは言え、雑炊を食べ終わる頃には
汗びっしょりで、風呂上りのいい男である。

食べ終わって、店を出ると
悪いものが流れ落ちたような爽快な気分になる。

「もう一杯そのへんで飲んでいくか。」
というようなことになってしまうのである。

停電

トイレに入っている時に、明かりが消えた。

「停電か?あ…そういえば!」

数日前に、マンションのメンテナンスのため、
停電をするというお知らせのチラシが配られたことを思い出した。

しかし、そんなことはとっくの昔に忘れている。

マンションのトイレには明かり窓の小窓などついていない。

仕方ないので、闇の中で用を足し、
水を流そうとしたら、流れない。

「あ、そうか。」今更ながらに気づかされた。

ウォシュレットになってから、トイレの水を流すために
電気が使われているということを。

マンションの水道は、電気を使って汲み上げているから
災害の時にはもちろんトイレを流すことが出来ないが、
タンクに水を入れてもダメだということになる。

生活が便利になればなるほど、
何かあったときには困ることが多くなるということを
改めて思った。

昔の道具は今に比べて不便であったかもしれないけど、
簡単な仕組みで作られていたため、
壊れたとき、誰でも直すことが出来た。

生活が便利になると、複雑な機械が増えることになった。

現在の我々は、自分で直せない道具に囲まれて生活をしている。

それらの道具を、うまく使えているときはいいけれど、
ちょっと何かあると我々の理解を超えた仕組みになっているので、
もうどうすることも出来ない。

便利さと引き換えに、「何かあった時にはやばい。」
という不安を抱えながら生活することになるのである。

しかし、便利さの追求を止められないのも事実である。

10年ほど前、オール電化という言葉が流行った。

家で生活するためのエネルギーを、
電力に一本化するというものだ。

しかし、東北の震災が起き、
一つのエネルギーだけに頼るのは危険だという風潮になり、
いつの間にかオール電化という言葉は消えた。

何かが起こったとき、人はそれなりに反省するようだ。

しかし、便利さは我々の生活にじわじわと浸透している。

電気がなければトイレの水も流せないのだ。




災害への備えをしなければならないと言っているのではない。

いやむしろ、私はこの考え方には反対だ。

どんな災害が起こるかわからないからだ。

それに、我々個人が出来ることなど限られている。

それよりも、便利ではあるが、
脆弱な生活を送っているということを
常に意識することが大切だと思う。

逆に言うと、それぐらいしか出来ることがないのだが、
それだけでも、何かが起こったときの
対処の仕方がずいぶん違うと思う。

そんなことを気づかせてくれた停電だった。

町の名前

十数年前、埼玉県の大宮市と浦和市を中心に、
四つの市が合併することになった。

合併するときには、必ず起こることだが、
浦和市の人は大宮市と名乗ることに反対し、
大宮市の人も浦和市と名乗ることに反対した。

大揉めに揉めた結果、収拾がつかず、
結局さいたま市となった。

漢字ではなく、ひらがなでさいたま市である。

とてもかっこ悪い名前だと思う。

なぜそうなったか詳しくは書かないが、
要するに、四つの市が喧嘩をしているうちに、
いつの間にかひらがなにまでなってしまったということだ。

さいたま市に住んでいる人に、どこに住んでいるのか聞いたら
多分、「大宮」とか、「浦和」と答えると思う。

さいたま市と答える人はほとんどいないのではないだろうか。



私の住んでいる「台東区」も、とてもかっこ悪い名前だ。

さいたま市と同じで、喧嘩の末に出来た名前だからだ。

お上の都合で市町村の合併は過去に何度も起こっている。

台東区も、昭和の時代の合併で出来た区だ。

その前は、下谷区と浅草区だった。

この合併の時も、両市が大揉めに揉めて、
この地域に縁もゆかりもない台東という名前で手打ちをしたのだ。

現在は、台東区台東という地域がある。

最寄り駅で言うと、御徒町ということになる。

かつて私はこの辺りに住んでいたが、
住民たちは誰も台東という言葉を使わない。

この地域も、かつてはたくさんの町に分かれていた。

だから彼らも自分の住む場所を町の名前で言う。

台東というのは行政区分のためにつけられた名前で、
歴史の中から自然に呼ばれた名前ではないということを
彼らもわかっているのだ。

そこには御徒町、竹町、ニ長町など
行政区分からは消えてしまった町が今も人々の中にある。

このブログでは、昔の町名がたびたび登場するかもしれない。

地図にない名前なので、わかりにくいかもしれないが
ご勘弁願いたい。

行政区分の名前で言うと、しっくりこないからである。

例えば、台東二丁目は
二長町の一部であり、竹町の一部であり、御徒町の一部でもある。

東上野一丁目とか、北上野二丁目などというよりも、
西町だとか、入谷町という言い方のほうがしっくり来ると思う。

番号のような呼び方も良いが、
昔から呼ばれている名前で言った方が
その地域の歴史を感じることが出来るように思う。
プロフィール

押川雲太朗

1965年生まれ。漫画家。麻雀漫画を多数執筆しています。現在は「麻雀小僧」と「Let’s Go なまけもの」を執筆中。

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