トイレに入っている時に、明かりが消えた。

「停電か?あ…そういえば!」

数日前に、マンションのメンテナンスのため、
停電をするというお知らせのチラシが配られたことを思い出した。

しかし、そんなことはとっくの昔に忘れている。

マンションのトイレには明かり窓の小窓などついていない。

仕方ないので、闇の中で用を足し、
水を流そうとしたら、流れない。

「あ、そうか。」今更ながらに気づかされた。

ウォシュレットになってから、トイレの水を流すために
電気が使われているということを。

マンションの水道は、電気を使って汲み上げているから
災害の時にはもちろんトイレを流すことが出来ないが、
タンクに水を入れてもダメだということになる。

生活が便利になればなるほど、
何かあったときには困ることが多くなるということを
改めて思った。

昔の道具は今に比べて不便であったかもしれないけど、
簡単な仕組みで作られていたため、
壊れたとき、誰でも直すことが出来た。

生活が便利になると、複雑な機械が増えることになった。

現在の我々は、自分で直せない道具に囲まれて生活をしている。

それらの道具を、うまく使えているときはいいけれど、
ちょっと何かあると我々の理解を超えた仕組みになっているので、
もうどうすることも出来ない。

便利さと引き換えに、「何かあった時にはやばい。」
という不安を抱えながら生活することになるのである。

しかし、便利さの追求を止められないのも事実である。

10年ほど前、オール電化という言葉が流行った。

家で生活するためのエネルギーを、
電力に一本化するというものだ。

しかし、東北の震災が起き、
一つのエネルギーだけに頼るのは危険だという風潮になり、
いつの間にかオール電化という言葉は消えた。

何かが起こったとき、人はそれなりに反省するようだ。

しかし、便利さは我々の生活にじわじわと浸透している。

電気がなければトイレの水も流せないのだ。




災害への備えをしなければならないと言っているのではない。

いやむしろ、私はこの考え方には反対だ。

どんな災害が起こるかわからないからだ。

それに、我々個人が出来ることなど限られている。

それよりも、便利ではあるが、
脆弱な生活を送っているということを
常に意識することが大切だと思う。

逆に言うと、それぐらいしか出来ることがないのだが、
それだけでも、何かが起こったときの
対処の仕方がずいぶん違うと思う。

そんなことを気づかせてくれた停電だった。